第65回現代歌人協会賞の授賞式に出席しました
2021年12月23日、学士会館にて、現代歌人協会賞の授賞式が行われました。
6月に行われる予定だったのですが、昨今の情勢により延期となっていました。
大変な状況の中で開催していただけたことに感謝します。
来てくださった方、遠くで応援してくださった方、選考委員の方々、現代歌人協会の方々、版元である書肆侃侃房の方々、そしてもちろん読者のみなさま、ありがとうございました。
当日の受賞スピーチでお話した内容をこちらに掲載します。よかったら読んでみてください。
現代歌人協会賞受賞スピーチ
歌集を編み始めてから、あるいはそれより前、歌壇賞をいただいた頃から、自分の歌は美しすぎるのではないかと思い始めました。
真善美という言葉があります。私は真と善を求めているつもりでしたが、自分の価値観の根本には美意識があるのだと気付きました。
でも、美とは何でしょう。私は、美を最上の価値として無邪気に掲げることはできません。
歴史上、数々の芸術が女性を美のアイコンとして用いてきました。そうした芸術は、女性を人格あるものとして認めませんでした。そのことは、女性への抑圧であり搾取でした。
何かを、美しいと思うことは、つねに対象への搾取なのだと思います。
それを、若い女性として私はずっと感じてきました。
対象が人間でなければ搾取にならないわけではありません。
動物に対しても、植物に対しても、風景に対しても、その美しさを愛でることは誰からも許されていないと思うのです。
人間はその美しさを愛でることで対象に権力を振るい、支配してきたからです。
女性が人間ではないものとされ、暴力を振るわれてきたのと同じように、人間は人間以外のものに暴力を振るってきました。
言葉の美しさを愛することだけが、その罪から自由であるとは言えないだろう、と次第に私は思うようになりました。
また、私の歌が多くの人から見て疑問の余地なしに美しいとしたら、それは私の歌が既存の美の価値観に則っているということです。
そして、既存の美の価値観とは、他の多くの既存の価値観と同様、差別的なものです。
それは美しいものと美しくないものとを区別し、美しいとされたものを搾取し、美しくないとされたものを貶め、両者の間を分断しているからです。
歌を続け、次第に上達し、自分の望むような美しい歌を作れるようになってきて、私はそれがほんとうに美しくていいのか、と思うようになりました。
そんな迷いの中で、だからこそ、今まで作った歌をひとつにまとめ、歌集という形にしたいと思いました。
これから自分がどこに進むのか、どこに進んだらいいのか、わからなくなったからこそ、次に進むために今までのものを完成させたかったのです。
それでも、私の拠り所はこれからも美なのかもしれません。
美しさを愛すること、美しいものを作ること、それをやめなくてはならないと言うつもりはありません。
ただ、美を求めることの罪深さを、葛藤を、見つめ続けなくては次に行けないと思うだけです。
これから自分がどこへ向かうのかわかりませんが、これからも見守っていただければ幸いです。